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2023/03/08
極私観3:詩人の生活

記事作成日:2023/03/08

記事を書いた人
カワウラ=サトル

カワウラ=サトル

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「すべての芸術家は詩人でなければならない」
――― エゴン・シーレ

「はぁ、さいでございますか。」というのが、素直な感想。
俗世に生きる私には高尚過ぎるこの言葉。
確かに、一時は若気の至りか、詩作に励んでみたりして、
「俺も芸術家の端くれだ!」なぞと嘯いては、生来の日和見主義が顔を出して、
「もう、やめだやめだ!」なんて一人癇癪を起していたものだ。
高邁な精神を宿したいとは思ってはいるものの、
なかなか実践できないのが、俗世に生きる俗物の性でありましょうか。

先月の話ではあるが、東京は上野にある東京都美術館で開催されている『エゴン・シーレ展』を訪れた。
特段、エゴン・シーレに惹かれていたというわけでもなかったが、
ウィーン分離派のグスタフ・クリムトが好きであるが故、
同じオーストリア出身の若き夭折の天才の作品を一目見ておこうと思ったのだ。
当然の如く、その前後にサウナ浴を堪能したのだが、そのことは今回は書かない。

いやいや、ちょっと勘違いしていた。
てっきり、エゴン・シーレの作品のみの展示であるとばかり思っていたが、
惹句にまんまと踊らされてしまった。
正確には、レオポルド美術館の収蔵作品の展示であり、エゴン・シーレの作品は50点のみであった。
まぁ、それでも十分に楽しめたので良かった。
というか、「別格」という言葉が相応しい位に、エゴン・シーレの絵は異次元の存在感を放っていた。
彼のの率いた『新芸術家集団』の面々の作品、はもちろん鮮烈な印象を与えてはくれたのだが、
そこまでであり、およそ比肩できていない様に感じてならなかったのだ。
あくまで無知なる男の戯言であるので、批評家精神のある方々にはご容赦願いたい。

かつて、若きエゴン・シーレと、親子ほど年齢の離れたグスタフ・クリムトの間にこんな問答があったそうだ。
「僕には才能がありますか?」
「才能がある?それどころかありすぎる」

これこそが、「天才」というものであるのだ。
世の中には、「自称」はごまんといる。ただ、「他称」の存在は稀有極まりない。
そんな一握りの人間に近づくために、凡人である私にできることは、ただ一つ。
「努力」である。

最近では、「努力 未来 A BEAUTIFUL STAR」なんて歌詞の歌が流行っていたりしたし、
ひと昔前に、「努力は必ず報われる!」なんて言葉が演説で語られて流行ったりした。
要するに、他力ではなく自力を信じるのみなのだ。
その先に、きっと幸せというものがあるんじゃないかと思っております。
その予兆なのだろうか、今のところは、爪先に火を灯すような、なんら面白みのない人生であるが、
つい先日、ある年長の男性に、ふいに顔相を診られ、こんなことを言われた。
「口周りにほくろがおおいですよね?お金がいっぱい溜まりますよ!」
だとさ。
わしの家計は、火の車じゃい!

またしても中身のない文章となってしまった。
この何らとりとめのない駄文が誰かの心に届くことを切に願いながら、筆をおく。
また、お逢い致しましょう。再見。

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