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2022/05/26
極私観:インターネット中継の功罪

記事作成日:2022/05/26

記事を書いた人
カワウラ=サトル

カワウラ=サトル

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パシン!と駒音高く指された一手。
その音を耳にして、私は将棋盤が映し出された画面へと視線を戻す。
「はぁ、そう指すものですか」、と独り言ちながら、卓上盤の駒を動かす。
休日における、私の生活の風景の一コマ。
何をしているのかと云えば、そう。
インターネット中継で将棋の対局を観戦しているのである。

私は将棋が好きだ。
しかし、「強いのか」?と問われれば、級位すら持っていない草将棋指し。
果たして己の実力の程はいかほどなのか、測りたいとは思うものの、
なかなかに勇気が出せずに、力を溜める日々なのである。

話が逸れてしまったので本題へ。
昨今は映像プラットフォームの整備が目覚ましく、
一昼夜の内に、テレビ放送は視聴せずとも、
何かしらのインターネット中継を目にしている方も多いことだろう。
というか、こっちの方が多いに違いない。
若年層に限って云えば、そうであろう、きっと。

インターネット中継の大きな利点としては、長時間の放送が可能であるということである。
テレビ放送というものは、どうしてもスポンサーの兼ね合いがあり、長時間の番組を編成できない。
また、インターネット中継は複数のチャンネルを設定することが出来るので、
特定のジャンルだけを、ターゲットを絞って届けることができる。
なにかしらのファンにとっては、嬉しい悲鳴を上げるしか他にあるまいて。
私もその一人だ。
『ニコニコ生放送』や『AbemaTV』の将棋チャンネルには大変お世話になっている。

「CS放送にも専門チャンネルがあるではないか!」という意見もおありだろうが、
やはりそこは、インターネット中継の強み。
双方向性というものが、視聴者に対して多分に作用している気がする。
コメントの書き込みなどが出来るので、参加意識を持って番組を視聴することが可能になるのだ。
場合によっては、そのコメントを演者が拾ってくれたりする。
また、コメントを書かない人でも、他の視聴者がどんなリアクションをしているのかが知れるので、
ある種のコミュニティーが、放送時間中に形成される。
「一人で見ている」という疎外感、孤独感が薄らいで、何だか居心地が良い。
インターネット中継の場は、「番組を視聴する」という受動的な環境から、
「共に番組を作る」という能動的な環境に変わっている様に思えるのだ。
こう書くと、すごく良い様にも見えるのだが、
ややもすると排他的で閉鎖的な状況になり易いので、一考する余地は多分にある気がしている。
明らかにクオリティが劣る所があっても、文化祭的なノリでいいじゃん!という、
安易な視聴者側の受容と、そこに甘える制作者側の妥協が見受けられる箇所もあるので、
その辺りを引き締める必要があるとも感じている。
これは、私も映像の制作者であるという特性上、自身に対する戒めでもあるのだが。

一方、テレビ放送はどうなっていくのか。
今年の4月より、テレビ放送もリアルタイム同時配信が始まった。
いつでもどこでも映像メディアにアクセスできることは喜ばしいことだが、
視聴価値というものが下がってしまうのではないかという、一抹の不安もある。
テレビには、「誰かと同じ空間にいるからこそ楽しめる」という特徴と、
「家族に団欒をもたらす」という役割があった様に思える。
しかし、今となっては、かつてあった風景。遠い夏の日になってしまった。
現代は、各々がそれぞれの時間と場所で、思い思いのコンテンツを楽しむことが出来る時代。
人込みの雑踏の中で横目に視ることも出来れば、はたまた静逸な山奥で観ることも可能になった。
そう。万人受けの凡庸さから脱却し、個性を重んじる「風の時代」へと、
世の中は変貌を遂げたのである。

日毎にテレビとインターネット上で広がり続ける、茫洋たる映像コンテンツの海。
掬い上げた掌に残るものとは、一体どんな作品であるのだろうか。
視聴環境の変化によって、映像の持つ役割、与える影響はどうなって行くのか。
今後の動向に注視していきたいものです。

長々と書いた割には、まとまりのない文章となってしまった。
拙文にお付き合い頂いた方に、感謝を申し上げます。

いや~、映像って本当にいいもんですねぇ。
それでは、次回をご期待下さい。さよなら、さよなら、さよなら。

記事を書いた人
カワウラ=サトル

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